【社長の部屋】樺太からの引揚者の母
2017年9月24日
樺太からの引揚者の母
どういう訳か日曜日は朝早く起きてしまう。何時ものようにテレビのスイッチをON。「三船の悲劇」をテーマに樺太という文字が出た途端、「そういえば私の母も引揚者だな」と見入ってしまった。終戦間直にスターリンの政策で北海道の半分ぐらいを占領しようとソ連軍が動いていた頃、樺太からの引揚船の●小笠原●第二新興丸●奉東丸がソ連軍の潜水艦の魚雷で沈没した。ほとんどが民間人なのである。残念ながら、テレビでの永谷さんのお母様も一人息子に会えぬまま日本海に船と共に沈んだ。私の母はなんとか着の身着のままで別の引揚船で帰れたが、船底から船上デッキまで身動き出来ないほどの引揚者で、トイレも行けず大も小も海に垂れ流し状態だったそうです。船体やロープに汚物が付、悲惨な帰国だったと、樺太の事はあまり語らない母に何時だったか聞いたことがあります。それにしても、●ロスケ●は昔も今も本姓は変わらないと思うのは私だけだろうか。それとなんでこんな夜中に良い番組が多いのだろうか、もっと昼間に為になる番組を流してほしい。