社長の部屋
2017年7月12日
土建屋小山組で学んだもの
40年前頃に田舎(気仙沼)で腕の良い親方は、建築だけてなく土木も普通に施工していた。道路が通っている所だったら何処にでも家を建てられた。法面でも木を伐採して擁壁を造り、基礎を造り、庭まで造っていた。今の様な分業化していないので、衣食住の住環境の全体像が見えていた。本当に良い親方についていたとつくづく感謝している。勿論もうあの世に行っているだろうが、親方の精神と技術は私の中に生き続けている。
2017年7月7日
2017年7月5日
成東市の大正時代の建物③
今日は、外壁のドイツ下見板について、歯科医院らしく白色で塗装してある板は目の詰んだ檜の柾目板。塗装するのなら杉でも、栂でも良いのだろうが、見えない所に凝った材料を使う所が、関西の大工さんらしいところです。勿論困ったことに間取りも関西間でした。本当に解体した大工が、「これ、もらっていいですか」 と言うぐらい性の良い檜板でした。
2017年7月2日
成東市、大正時代の建物、②
屋根瓦の下地の防水シート(ルーフィング)の代わりに、杉皮が張られ瓦桟には良く目の詰まった檜材でしっかり押えてありました。100年経っても昨日剥いできたようなまだ充分使えそうな杉皮でした。もっとも私の田舎(気仙沼)では、50年前までは杉皮葺きで石押え仕様でしたが、何十年と雨漏れもしないで持っていました。やはり国宝や重要文化財が多い京都の大工さんが造る家だとつくづく感心させられました。どうなんでしょう今の新建材が100年持つだろうかと心配になりました。 やはり誰が考えても無垢の国産材は良いのですが それを扱う職人(更地から家を建てる、土建屋)の数が激減しているのです。親方(指導員)も長い目で育てる余裕がないのです。そして森林業も大きく影響してくるのが建築業界なのです。今後なんとか、土建屋 がもっともっと増える事を祈ってやみません。
2017年6月30日